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宇野久重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
宇野久重
時代 室町時代後期
生誕 不明
死没 不明
別名 通称:新蔵人
主君 朝倉孝景
氏族 宇野氏
養子:景久印牧広次次男)
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宇野 久重(うの ひさしげ)は、室町時代後期の武将朝倉氏の家臣。

丹後国ないし丹波国の出身で、源氏の血を引くとされている。

越前国朝倉孝景に仕えており、家中随一の勇将であった。幻雲文集(「続群書類従」所収)によれば、常に孝景の傍にあって、「膂力絶人」「勇気蓋世」「百戦百勝無出其右者」と言われるほどの武将であり、応仁の乱に際して、孝景が東軍に寝返った後、文明3年(1471年6月10日の河俣での合戦、同年8月24日の新庄・鯖江での合戦及び文明11年(1479年11月21日の金津夜討で手柄を立てている。

印牧広次の次男・景久を養子としている。