鳥居久靖
鳥居 久靖(とりい ひさやす、戸籍名 鶴美、1911年7月1日 - 1973年[1])は、日本の中国語学者、中国文学者。
経歴[編集]
愛知県八名郡石巻村(現豊橋市嵩山町)の農家の二男として生まれる。1927年、県から学資補助を受けながら愛知県岡崎師範学校(現愛知教育大学)本科一部に進学。1932年、豊橋市内の学校に奉職するも、1935年、県に頼んで南満洲鉄道株式会社奉天教育研究所に出向し、「中国語」と出会う。研究所後期、余力の大半を「中国語」の学習に投じた。1939年、夏休みに帰国、結婚。1940年から新京(現長春市)の新京商業学校で教鞭をとる。その後帰郷し1942年、天理外国語学校(現天理大学)教授となる。そのかたわら京都立命館大学に在籍、1944年同校卒業。1949年、学校再編による天理大学開学に伴い資格再審査を受け、文学部助教授に任ぜられる。1955年、天理大学教授[2]、以後1973年在職中に死去。
著書[編集]
出典:鳥居久靖(1972)(鳥居久靖教授著作目録)による。
- 『北満を旅して』1935年、中国関連の最初の紀行文(連載39回)[3]。
- 『華語助動詞の研究』1947年[4]
- 『金瓶梅しゃれことばの研究』1972年[5]
- 『中国の言語と文学 鳥居久靖先生華甲記念論集』1972年[6]等多数。
日本語訳書[編集]
注・出典[編集]
参考文献[編集]
- 鳥居久靖「鳥居久靖教授著作目録 : 耳順自述 : 著作目録の前がきとして」『天理大学学報』第23巻第5号、天理大学学術研究会、1972年3月、392-375頁、CRID 1050564288381713920、ISSN 0387-4311、NAID 120006343413。