野村藩
野村藩(のむらはん)は、美濃国(現在の岐阜県揖斐郡大野町)に存在した藩[1]。
概要[編集]
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、織田長孝(織田長益の長男)は東軍に与して戦功を挙げたため、大野郡野村などに1万石を与えられて野村藩を立藩した。だが、寛永8年(1631年)7月、長孝の子・長則が嗣子なくして死去したため、無嗣断絶により廃藩となった。ただし、長則が襲封したのは父の遺領でなく、祖父長益の遺領味舌藩であったとする説もある[2]。その後、江戸時代の大部分を通して大野郡は大垣藩もしくは支藩の大垣新田藩に属した。
明治2年(1869年)、大垣藩主戸田氏共は大垣新田藩主戸田氏良に対し、蔵米3000石の支給に代えて野村など美濃国内から3000石を分知した。氏良は野村に野村陣屋を構え、大垣新田藩を野村藩と改め、同年の版籍奉還で知藩事に任じられた。明治4年(1871年)の廃藩置県により野村藩は廃藩となり、野村県を経て岐阜県に編入された。
歴代藩主[編集]
織田家[編集]
戸田家[編集]
1万石→1万3000石。旧譜代(1869年 - 1871年)。
陣屋現存建物[編集]
陣屋跡には、堀跡と土塁の一部が残っている。また、南側の集落内にある民家に総門と藩庁門が移築され現存している。
幕末の領地[編集]
脚注[編集]
- ^ 二木謙一監修・工藤寛正編「国別 藩と城下町の事典」東京堂出版、2004年9月20日発行(310ページ)
- ^ 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(同辞典編纂委員会、竹内理三編、角川書店、1991年)P.1118
先代 大垣新田藩 |
行政区の変遷 1869年 - 1871年 (野村藩→野村県) |
次代 岐阜県 |