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藤堂長美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤堂 長美(とうどう ながよし、享保17年(1732年) - 元文6年(1741年))は、津藩名張藤堂家(藤堂宮内家)第6代。伊賀国名張1万5000石の領主。

父は名張藤堂家第5代・長熙。弟に名張藤堂家第7代・長旧

藤堂長美の墓(名張市徳蓮院)

享保17年(1732年)、藤堂宮内長熙の三男として名張に生まれる。兄2人が早世したため嫡男となる。享保20年(1735年)、父・長熙が名張藤堂家の津藩からの独立を企て失敗した享保騒動(名張騒動)の処分で隠居したため、わずか4歳で家督相続し、名張1万5000石の領主となる。長熙が大殿として後見したが10歳で死去し、弟の長旧が家督相続した。墓所は名張市徳蓮院。