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籠手田 安一(こてだ やすかず、天文22年(1553年) - 没年不明)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。父は松浦氏の重臣・籠手田安経。
父や祖父・安昌と同じくキリシタンとなった。洗礼名はドン・ジェロニモ。子(ドン・トマス)も信徒だった。
慶長4年(1599年)、松浦隆信が死去すると、その嫡子・鎮信は領内のキリシタンに棄教を迫った[3]。同年以降、家臣にも棄教を命じるようになったため、安一は、一族・600人のキリシタンを連れて長崎に出奔した[3]。しかし、長崎に入ることを断られ、(当時の)長崎の対岸にある稲佐に住んだという。
参考文献[編集]