大崎下島
大崎下島 | |
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所在地 | 日本(広島県) |
所在海域 | 瀬戸内海 |
所属諸島 |
芸予諸島 (下大崎群島) |
座標 | 北緯34度10分23.4秒 東経132度49分47.4秒 / 北緯34.173167度 東経132.829833度座標: 北緯34度10分23.4秒 東経132度49分47.4秒 / 北緯34.173167度 東経132.829833度 |
面積 | 17.82 km² |
海岸線長 | 26.0 km |
最高標高 | 449 m |
最高峰 | 一峰寺山 |
プロジェクト 地形 |
大崎下島(おおさきしもじま)は、瀬戸内海の中部にある下大崎群島の島である。大長みかん・大長レモンという果樹栽培や漁業が盛ん。
行政[編集]
広島県呉市に属する。かつて島西部の立花地区・大浜地区は豊田郡豊浜町を、大長地区・御手洗地区などは豊田郡豊町と地方自治体が分かれていたが、それぞれの町が2005年3月20日に合併して呉市の一部となった。住所表示は「豊浜町」「豊町」を引き継いでいる。
自然[編集]
歴史[編集]
- 戦国時代までは下島と呼ばれ、大山祇神社の寺社領であった。また伊予国に属していた。
- 江戸時代以降、御手洗は潮待ち・風待ちの港町として賑わった。現在も江戸後期から昭和初期の建物が数多く残り、突堤、雁木などの港湾施設も良好に保存されていることから1994年に「豊町御手洗伝統的建造物群保存地区」の名称で重要伝統的建造物群保存地区として選定された(全国で38番目の選定)。
- 1863年(文久3年)の八月十八日の政変で失脚し京都を追放された七卿のうち五卿は、長州に逃れる途中、この島に立ち寄っている。その時立ち寄ったとされる屋敷が御手洗地区に七卿落遺跡として広島県指定の史跡になっている。
- 大長地区では近隣の島へミカンの出作を行う為、農船と呼ばれる小型船を使用していた。最盛期は大長の船溜りには400艘を超える農船がひしめいていたが、架橋の進展などにより次第に使用されなくなり、現在では大幅に減少している。
交通[編集]
道路[編集]
- 県道
- 広島県道355号大崎下島循環線(島を一周する道路)
- 橋
バス[編集]
港湾[編集]
(南西から時計まわりに)
航路[編集]
- 高速船
- ※ 御手洗地区 寄港便もある。「めばる」から「明石」までが「大崎上島」
- フェリー
- 小長港 - 明石(大崎上島)
脚注[編集]
- ^ “大崎上島-大崎下島フェリー廃止へ コロナ禍・燃料高「余力ない」、かんきつ出荷に打撃” (2022年12月1日). 2022年12月1日閲覧。
- ^ “大崎上島―大崎下島フェリー存続へ 運航会社が廃止撤回 呉市補助金は2022年度と同額3700万円” (2023年3月10日). 2023年3月10日閲覧。
- ^ “呉市離島航路事業条例(平成17年3月18日条例第22号)”. 呉市. 2011年12月10日閲覧。
関連項目[編集]
- ももへの手紙 - 大長地区と御手洗地区が舞台のモデルとなっている[1]
- 日本遺産 - 「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間」の構成自治体に認定される[2]
- 男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎 - 大長大橋の付近がワンシーンに登場する
外部リンク[編集]
- 国土地理院地図閲覧サービス - 大崎下島の1/25000地形図
- ウィキメディア・コモンズには、大崎下島に関するカテゴリがあります。