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久保こーじ

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

久保 こーじ(くぼ こーじ、英語表記:Cozy Kubo、本名:久保 浩二1964年11月14日 - )は、日本音楽プロデューサー作曲家編曲家キーボーディストマニピュレーター東京都出身。東京都立小山台高等学校卒業。

来歴

17歳(高校3年生時)ローディーの仕事を始める[1]

1983年頃、村田和人バックバンドをしていた小室哲哉が渋谷LIVE INNの楽屋で「バンドやるんだけど、手伝ってよ」と久保に声をかけたのが切っ掛けで、以来小室と共にスタジオワーク・情報収集等を行うようになり、小室に引きずられる形で徐々に段階を踏んで、プロデューサーが担当する作業に手を付けるようになった。

その関係は久保が「小室の一番弟子」と名乗る程の師弟関係を超えて生き、次第に久保が「小室ファミリー向けの曲は本当に小室さんと僕で作っている」「日本の電子楽器発展の歴史そのもの」[注釈 1]と語るほどのブレーンであり、パートナーになった[3][4][2]

TM NETWORK1985年発売の2ndアルバム『CHILDHOOD'S ENDにシーケンサーのプログラマーとして参加。その後もTM NETWORK・小室のマニピュレーター、サポートキーボーディストとして活動。当初は主にギター・ベースを弾いており、キーボードは最後であったため、プログラミングなどを小室から学んだ。それ故に、主にキーボード関係の機材のセッティング・トラブル処理を行っていた[5]

1988年から1990年頃まで、TM NETWORKの他、B'zのローディーも務めた。

1989年9月より、小室と共に「小室哲哉・COZY」のクレジットでアレンジ及びプロデュース活動を開始。以降、多くの小室作品の編曲を担当するようになる。

1991年発売のTMNのアルバム『EXPOにおいては、数曲を小室と共同でアレンジを行い、小室のソロアルバム『Hit Factoryでは小室、シンクラビアのオペレーターの日向大介と『T.C.D Hits』というユニットを結成、アレンジ・演奏を担当。1994年のTMNの東京ドームでの“終了”ライブにおいて、RHYTHM REDツアー、EXPOツアーでシンセベースを担当していた浅倉大介に代わり、久保がシンセベースを演奏。

20代前半で自身のバンド「13's Paradise」を結成し、その後バンド名変更・メンバーチェンジを行う。1992年3月にソロ・アルバム『COZY』をリリース、ソロアーティストとしてもデビュー。同年春、伊集院光とともにARAKAWA RAP BROTHERS(荒川ラップブラザーズ)を結成、シングル1枚とミニアルバム1枚を発表。同年10月からは『オールナイトニッポン』のラジオパーソナリティを務め、その縁でニッポン放送の女性ディレクターと結婚、2児を授かる。

1993年、自身を含めた当時のオールナイトニッポン全パーソナリティ参加による番組のSTOP! AIDSキャンペーンソング『今、僕たちにできる事』の編曲を担当。

1994年には先の「13's Paradise」の後身にあたる自身のバンド『No!Galers』を結成し、アルバム2枚・シングル7枚を発表。『No!Galers』は久保のバックバンドだけでなく、当時の小室ファミリーのバックバンドも兼ねていた。ちなみにバンド名の由来は、小室曰く「自分の事務所にレコーディングに十分対応できるだけの腕を持つハイクオリティなバンドを一つ抱えているから、いくら使ってもタダだから使わなくちゃ損。江戸時代の遊廓みたいなもの」と言う所からきている。しかし、実際には現金・ギター・自動車等をギャランティとしてきちんと支払っていた[3]。『No!Galers』のギタリスト木村建は再始動後のTM NETWORKの曲でギターを担当している。

久保は小室の片腕として、一部の小室プロデュース作品の作曲を小室と共同で担当したほか、小室ファミリーである鈴木あみ安室奈美恵hitomi篠原涼子らの一部の楽曲の作曲を単独で担当した。また、これと並行して天方直実木村佳乃知念里奈らの楽曲のプロデュース・作曲も独自に行った。小室が司会を務めた『TK MUSIC CLAMP』(フジテレビ)にもレギュラー出演。小室とのユニットtk-trapとしても、1996年幕張メッセで開催された『ORACLE OPEN WORLD』内でライブを行い、TM NETWORKの『CAROL』などをカバーした。

Rojam Entertainmentのプロデューサーとしてゲームソフトの音楽などを手掛けた後、2000年頃から小室と袂を分け、独自にプロデュース活動を始めている。No!Galersの2代目ボーカル・HIROSHI(蛭間弘;CLUBFOLKではヒルマフィロシ)とともに、高輪サウスの芸名でフォークデュオのCLUBFOLKを結成。お台場のハイカラ横丁のテーマソングとなる「ハイカラマン」を発表。東放ミュージックカレッジにも講師などとして関わり、後進の育成に尽力。2002年にアコースティックユニット種々をプロデュース、2006年真崎ゆかをデビューさせた。2011年の6月頃から再び小室と共同のアレンジが復活(AAAなど)。

2022年5月30日、音楽レーベル「mirror」をWALLOPと共同で主催する[6]

参加バンド、ユニット

楽曲提供・プロデュース

など

編曲

その他(マニピュレーター等)

ソロ・アルバム

  • COZY (TK TRACKS LABEL Produced by Tetsuya Komuro
    1992年3月21日発売(規格品番:MECP-30006)
    1996年6月26日再発売(規格品番:MECQ-15008)
  1. BROKEN WAY
  2. NOT "Rock'n Roll", BUT Rock'n Roll!
  3. 恋はDEN-DE★DE
    作詞:本城未沙子
  4. AFRICA
    作詞:本城未沙子
  5. PRINCESS
  6. あの娘はシルエット
  7. 我愛你〜はるか昔の物語〜
  8. 彼女のノックはきこえない
  9. レ・ゲ
    作詞:本城未沙子
  10. 星に願いを
    作詞:久保浩二・本城未沙子
  11. OVER THE DREAM (she's so far)
特記以外 作詞・作曲・編曲:久保浩二

インターネット放送

  • 石川よしひろ&久保こーじのギリギリウィークエンド(あっ!とおどろく放送局、2007年7月8日 - 9月30日)
  • 夜遊びメールバトル水曜(あっ!とおどろく放送局、2007年10月3日 - 12月26日)
  • ギリギリですけどそれが何か?(あっ!とおどろく放送局、2008年1月8日 - 2008年12月23日)
  • 〔特別番組〕年末ギリギリ総集編もやりますが何か?(あっ!とおどろく放送局、2008年12月30日)
  • FRIDAY's (WALLOP、毎週金曜日夜21:00〜生放送、2012年4月6日 - 2012年12月)
  • アゲオシ!(WALLOP、不定期開催、2015年7月1日 - 2017年12月1日)毎月第1水曜日19時から生放送[8]

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 例えばMIDIサンプラーが出てきて、それまでは全部打ち込みだったのが、「リズムは録音したフレーズをまるごとサンプリングすればいい」と、その時々の新しい機材を駆使しての制作方法を掴むのに2人で試行錯誤した[2]

出典

  1. ^ この時初めて携わったアーティストは桑名正博である 久保こーじのBUZZ LEAGUE: 大将 2012年10月29日閲覧。
  2. ^ a b ダイヤモンド社刊『FM STATION』1996年7月5日号「MAKING of ‘KOMURO’ 特集 小室サウンドの『正体』」pp.20-29「小室哲哉の“右腕” 久保こーじが送り出す新人 天方直実」pp.30-31より。
  3. ^ a b ソニー・マガジンズ刊『ギターブック』1996年2月号「小室哲哉&久保こーじ 音楽工房の頭脳と心臓」pp.11-13より。
  4. ^ 株式会社スコラ刊「スコラ」1996年2月8日号「小室哲哉の懐刀、久保こーじの全貌。」p.119より。
  5. ^ 立東社刊「PLUM」1986年9月号 Vol.10「TM NETWORK SPECIAL 実現!宿願成就!てつや★キララ対談」p.85より。
  6. ^ WALLOP新音楽レーベル「mirror」を設立!”. WALLOP (2022年5月30日). 2022年9月21日閲覧。
  7. ^ 1991年発表のアルバム『Lucky』の他、複数のベストアルバムに収録されている楽曲『JUMP』のシンセプログラミングを「久保浩二」名義で担当
  8. ^ 久保こーじ公式ブログ - 2015-07-02 14:35エントリー

外部リンク