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ノート:大日本史

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明治33年発行『大日本史』線装243巻25冊[編集]

オークションで明治33年発行、線装243巻25冊(全397巻から志・表154巻を除いたもの)を入手しました。どのような位置づけのものかはわかりませんが、ご存じの方があったらご教示頂けませんか? --以上の署名のないコメントは、羊鶴会話投稿記録)さんが 2004-07-26 15:38:08 (UTC) に投稿したものです。

記事では、明治39年に完成とあるのに明治33年に出版されているのはどうしてか、という質問として解釈いたします。まず、大日本史の編纂過程で本紀・列伝は結構早く完成されていました。光圀公の没後まもなく18世紀初頭のことです。志・表は後からゆっくりと作られ、記事にもあるように明治39年にできたわけです。今手元に資料がなくて年代はうる覚えなのですが、嘉永年間には本紀・列伝のみの大日本史が出版されました。その後、何回か本紀・列伝のみで出版されたのです。ご質問の明治33年発行のものもそういったものだと思います。
それにしてもあの大部がオークションで買えるとはえらい世の中になったものですね。--Auf 2004年7月28日 (水) 05:30 (UTC)[返信]
なるほど!跋文などもこれで疑問氷解。有難うございました。以前にもどこかで「古い大日本史」が引用されていたのをみて「???」と思っていたのですが、暗雲が切れて陽光を望んだ思いです(大げさ?)
オークションで買ったものは活版印刷ですが、全部で16000円ばかりでした。1冊640円。同じ時に落札した鶴牧版史記評林は50冊完本で14000円余でした。安くて嬉しいような、先人の労苦に申し訳ないような気分です。--羊鶴 2004年7月29日 (木) 12:15 (UTC)[返信]

削除依頼が提出された場合に備えて[編集]

八木秀次氏の著書『日本人なら知っておきたい!Q&Aで分かる天皇制度』(扶桑社、2006年7月30日発行)の「大日本史と徳川光圀について」(256頁~258頁)の記事はWikipediaの大日本史2005年12月15日 (木) 00:39 (UTC) の版とほぼ一致します。削除依頼が提出された場合に備えて、Wikipediaの記事のほうが先に存在していたことを指摘しておきます。扶桑社のホームページのお詫びとお知らせも参照のこと。--まさふゆ 2009年1月19日 (月) 10:19 (UTC)[返信]

情報 上記投稿で参照指示のある「扶桑社のホームページのお詫びとお知らせ」は2024年3月現在、次のウェブアーカイブで閲覧できます。
--Yumoriy会話2024年3月5日 (火) 17:33 (UTC)[返信]