コンテンツにスキップ

ノート:ジャチント・シェルシ

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

履歴の変更コメントでNoda,Kentaroさんが「このクラスの作曲家なら(重要な、と言う意味だと思われ)様式区分に書き換えては」とのご意見がありましたが、たしかに英語版では(作品名羅列のみ)時代様式ごとに分かれているんですよね。詳しい方の補筆をお願いしたいと思います。30rKs56MaE 2004年11月16日 (火) 13:21 (UTC)[返信]

詳しい加筆だなあ、と思ったらそれは全部長木誠司の本の「転載」ではないですか。脚注が全部同一の本、って、それは著作権的にどうなんでしょう?やはりこれはいくらなんでもいけないと思います。引用とは認められない可能性があります。イタリアの音楽学者や作曲家がシェルシについて論文を書いてるのはあります(cf.ジュリオ・カスタニョリの学位論文)ので、そちらetc.に書き換えたほうがよいと思います。シェルシのアシスタントはトサッティだけじゃありません。--2605:6400:1:FED5:22:F0FC:90CA:595 2014年12月2日 (火) 00:32 (UTC)[返信]

加筆を行ったものです。現時点の私自身の認識としては、「出典に基づく記述」であり、Wikipedia:出典を明記するに照らして問題ないと考えております。これを「転載」と言われるのは、ちょっと「うーむ」という感じです。(「スピード違反の論理」的な言い方になってしまいますが、少なくとも、典拠不明のジャチント・シェルシ#作風節よりはマシではないかと・・・)追々、その他の文献についてもあたってゆきます。--Rienzi会話) 2014年12月2日 (火) 01:38 (UTC) ともあれ、私の加筆が、その是非をめぐる新たな論争の火種となることは本望ではありませんので、文章を簡素化しました。引き続き、「共同作曲」節の記述の簡素化と、「作風」節の出典を探す作業を行うつもりです。--Rienzi会話2014年12月2日 (火) 04:56 (UTC)[返信]