ジェノサイド

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ルワンダ大虐殺の犠牲者のために作られたニャマタ虐殺記念館

ジェノサイド: genocide)は、ギリシャ語γένος種族英語接頭辞でgenos)とラテン語 -caedes(殺害:英語の接尾辞でcide)の合成語であり、ユダヤ系ポーランド人の法律家ラファエル・レムキン英語版による造語である[1][2][3]政治共同体人種民族、または宗教集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われる行為としてジェノサイド条約第2条では定義される[1][4][5]集団殺害(しゅうだんさつがい)[1][5][4]または大量虐殺(たいりょうぎゃくさつ)と訳される[6]。このほか、「集団人間破壊」とする訳もある[7][注釈 1][6]

犯罪としてのジェノサイドは「集団殺害罪」と訳される[4][8][9]

定義と由来[編集]

ジェノサイドは、ユダヤ系ポーランド人の法律家ラファエル・レムキン英語版により『占領下のヨーロッパにおける枢軸国の統治』(1944年)の中で、政治共同体もしくは民族集団の消滅を目的とした、大量殺人だけではない複合的な計画を表すために用いられた造語である[1][2][3]

ジェノサイドの防止と処罰を規定したジェノサイド条約(正式名称:集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約[4][8][9])第2条では、ジェノサイドとは、政治共同体または、人種的、民族的、宗教的集団を、全部または一部破壊する意図をもって行われた、次のような行為のいずれをも意味すると説明される[4]

  1. 集団の構成員を殺害すること。
  2. 集団の構成員に対して重大な肉体的または精神的な害を引き起こすこと。
  3. 全部又は一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること。
  4. 集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること。
  5. 集団の児童を他の集団に強制的に移すこと。

日本語では「集団殺害」や「大量虐殺」と訳されることが多いが、条約の犯罪要素は「身体的ジェノサイド」と「生物学的ジェノサイド」を具体化したものであり[10]、上記の通りジェノサイドには対象の肉体的殺害が伴わない場合も含まれる。また、定義には被害が大量(多数)であることも虐殺であることも含まれておらず[4]、さらには、特定の、政治共同体人種民族、または宗教集団を破壊する意図を伴わない場合はジェノサイドに当らない[11]

ラファエル・レムキンによる発案[編集]

レムキンは、ドイツの大学で言語学を学習していた頃、アルメニア人虐殺の生存者でベルリンタラート・パシャ暗殺したソゴモン・テフリリアン英語版裁判に関心を持ち、法学を学習し始め、1929年に学位を取得した[2]。レムキンが集団的組織的殺害に関心を抱くようになったのは、トルコによるアルメニア人大量殺戮にあった[12][13]

1939年9月、ドイツ軍ポーランドに侵攻した。レムキンはこれを逃れ、その後スウェーデンを経て渡米しのデューク大学に赴く。1944年連合国側であったアメリカで、カーネギー国際平和財団から『Axis Rule in Occupied Europe(占領下のヨーロッパにおける枢軸国の統治)』を刊行。同書のなかで、「国民的集団の絶滅を目指し、当該集団にとって必要不可欠な生活基盤の破壊を目的とする様々な行動を統括する計画」を指す言葉として、「ジェノサイド」(genocide)という新しい言葉を造語した[13]。レムキンにとって、Mass murder(集団殺人)という言葉では、犯罪加害者の背後に潜む動機が取り込まれていない点で不十分であったための造語であった[14]

なお、レムキンが「ジェノサイド」という言葉を思いついたのは1941年8月、ウィンストン・チャーチル英首相のBBCラジオ放送演説における「我々は名前の無い犯罪に直面している」という言葉によるという[15][16]。彼自身の家族や親族も49人がナチスによって殺害されたという。のちに、1945年ニュルンベルク裁判の検察側最終論告において主任検事ベンジャミン・フェレンツによって、「ジェノサイド」が初めて使用された[17]

国連総会は1946年、「殺人(homicide)」は、個人としての人間の生きる権利の否定であるが、ジェノサイドは人間諸集団が存在する権利をまるごと否定することと定義した[17]

なお、ホロコースト否定論者ジェームス・J・マーティン英語版らは、レムキンがカーネギー国際平和財団から出版したことや、ルーズベルト大統領政権で外国経済行政の主席研究員をつとめており、敵国押収財産の配分と実務処理を担当していたことなどから、ユダヤ・ロビーとの関連性を主張している[18][19]

ジェノサイド条約[編集]

ジェノサイド条約における禁止行為[編集]

国際連合で採択された(1948年ジェノサイド条約(集団殺害犯罪の防止及び処罰に関する条約、The Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of GenocideまたはGenocide Convention)の第2条では、政治共同体的、人種的、民族的または宗教的集団を全部または一部破壊する意図をもって行われた、次のような行為のいずれをも意味すると説明されている[4](カッコ内は条約で明言されていない具体例についての通説)。

  1. 集団の構成員を殺害すること。
  2. 集団の構成員に対して重大な肉体的または精神的な害を引き起こすこと。
    • (拷問、強姦、薬物その他重大な身体や精神への侵害を含む)
  3. 全部又は一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること。
    • (医療を含む生存手段や物資に対する簒奪・制限を含み、強制収容・移住・隔離などをその手段とした場合も含む)
  4. 集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること。
    • (結婚・出産・妊娠などの生殖の強制的な制限を含み、強制収容・移住・隔離などをその手段とした場合も含む)
  5. 集団の児童を他の集団に強制的に移すこと。
    • (男児に新たな集団で一般的な名前・宗教に改名・改宗させた上で、労働力もしくは兵士として用いる。女児を動産として用いる。)

同条約第3条により、次の行為は集団殺害罪として処罰される。

  1. 集団殺害(ジェノサイド)
  2. 集団殺害を犯すための共同謀議
  3. 集団殺害を犯すことの直接且つ公然の教唆
  4. 集団殺害の未遂
  5. 集団殺害の共犯

旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所規程第4条2項並びに、国際刑事裁判所規程第6条には、ジェノサイド条約第2条と同様の規定があり、「集団殺害」について定義されている。

人道に対する罪との違い[編集]

1945年のニュルンベルク裁判でナチ指導者に対して問われた人道に対する罪は、「国家もしくは集団によって一般の国民に対してなされた謀殺、絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、追放その他の非人道的行為」と定義される。ただし、人道に対する罪とジェノサイドは、概念的には重なり合う部分が大きい[17]

1996年の「ジェノサイド条約の適用に関する事件」判決[編集]

国際司法裁判所は、1996年の「ジェノサイド条約の適用に関する事件」(ボスニア・ヘルツェゴビナ対ユーゴスラビア)(管轄権)判決において、ジェノサイド条約によって承認された権利と義務が、ジェノサイド条約という枠組みを超えて、対世的な(erga omnes)権利と義務であると認定した[20]

2006年の「コンゴ民主共和国領における武力行動事件」判決[編集]

かつ、同裁判所は、2006年の「コンゴ民主共和国領における武力行動事件」(2002年新提訴、コンゴ民主共和国対ルワンダ)判決において、ジェノサイドの禁止がjus cogensの性質を有すると認定した[21]

事例[編集]

以下、国際連合または一部の国にジェノサイドと認められている事例、ジェノサイド条約上の集団殺害罪に該当するもの、および研究者によって挙げられている事例を概説する。ジェノサイドであるかどうか当事国の間で議論となっている事例、また国際世論において大まかにジェノサイドであると見なされているものもある。

2011年時点でジェノサイド条約で認定されたものは、ルワンダの虐殺、ナチスのユダヤ人へのホロコースト、ソ連のウクライナへのホロドモール、旧ユーゴスラビアのスレブレニツァの虐殺の三件である[22]

これ以外にも、国際世論によって「大量虐殺」とほぼ認定されているものは、ダルフール紛争、オーストラリアのアボリジニ強制同化、アルメニア人虐殺である[23]

後述するようにテッサ・ホフマンは、19世紀後半のベルギーのコンゴ人虐殺や20世紀初頭のドイツによるヘレロ・ナマクア虐殺をジェノサイドの事例とする[24]。しかし、政治学者の添谷育志は「ジェノサイド概念を超歴史的に適用することは、歴史責任問題を無限に拡大することになりかねない。」との懸念を表明している[25]

19世紀[編集]

オーストラリアのアボリジニ強制同化政策[編集]

18世紀以降のオーストラリアにおけるアボリジニ先住民)の強制同化政策[23]オーストラリア連邦議会の調査書でこれが条約によって規定されるジェノサイドに該当するとの見解が出されたが、政府はこれに反発している。

ベルギーのコンゴ人虐殺[編集]

1885年から1908 年のベルギー王レオポルド2世によるコンゴ人虐殺があり、犠牲者は1000 万人ともいわれるが、これをテッサ・ホフマンはジェノサイドの事例とする[24]

ドイツのヘレロ・ナマクア虐殺[編集]

1904年から1908年のドイツ領南西アフリカでのヘレロ・ナマクア虐殺をテッサ・ホフマンはジェノサイドの事例とする[24]

20世紀[編集]

アルメニア人虐殺[編集]

19世紀末から20世紀初頭にかけてのオスマン帝国アルメニア人虐殺[26][23]。20世紀最初のジェノサイドと称される[24]アメリカ合衆国政府がジェノサイドと認定しトルコ政府はこの見解に反発しているが、国際的には論争が続いている。

ソ連[編集]

ウクライナのホロドモール[編集]

1930年代ウクライナでのホロドモール[22]ソビエト連邦による人為的な飢餓弾圧により多くの人々が死亡した。国際連合および欧州議会では人道に対する罪として認定された[27][28]

カティンの森事件[編集]

ソ連によるポーランドでのカティンの森事件[3]

シベリア抑留[編集]

ソ連による日本兵のシベリア抑留[3]

ナチスのホロコースト[編集]

1933年のナチ党の権力掌握から1945年のナチス・ドイツ崩壊までの間に発生した、ナチスによるユダヤ人などに対するホロコースト[22][26]。「ジェノサイド」の用語はナチスによる大量虐殺を説明する用語として造られ、ニュルンベルク裁判の起訴状に使用された[29]

クロアチア独立国[編集]

クロアチア独立国のセルビア人虐殺(1941~42 年)[26]

日本[編集]

日本による中国での南京虐殺事件[3]

アメリカ及び連合軍[編集]

ドレスデン爆撃[編集]

ドレスデン爆撃[3]

東京大空襲[編集]

東京大空襲[3]

広島・長崎への原爆投下[編集]

広島・長崎への原爆投下[3]ノーム・チョムスキーは「歴史上で最も酷い犯罪だ」と発言し、マイケル・シャーマーは、広島長崎への原爆投下が「非道徳的、違法、人類に対する罪でさえある」と主張する議論を取り上げている。

台湾[編集]

1947年台湾の二・二八事件[3]

韓国[編集]

韓国の老斤里虐殺事件(1950 年)[26]

インドネシア[編集]

9月30日事件[編集]

インドネシア9月30日事件インドネシア共産党撲滅[26][3]

東ティモール[編集]

インドネシアによる1970年代から90年代にかけての東ティモール独立への弾圧[3]

モンゴル[編集]

1960年代から1970年代の中華人民共和国による内モンゴル人民革命党粛清事件を、楊海英は「ジェノサイド」と主張している[30]

アルジェリア[編集]

アルジェリアにおけるフランス軍の暴行[3]

グアテマラ[編集]

グアテマラにおけるマヤ民族虐殺(1961 - 1996 年)[26]

カンボジアの特別法廷[編集]

トゥール・スレン虐殺犯罪博物館 犠牲者を撮影した写真

ポル・ポトタ・モク、その他の指導者が率いるクメール・ルージュは、カンボジア大虐殺を引き起こした[26][3]。犠牲者の総数は、1975年から1979年の間に、奴隷労働による死亡者を含めて170万人と推定されている[31]

2003年6月6日、カンボジア政府と国際連合は、クメールルージュの最高幹部が犯した犯罪を裁く特別法廷 (ECCC) をカンボジア裁判所に設置することに合意[32]、裁判官は2006年7月初旬に宣誓を行った[33][34][35]

大量虐殺の容疑は、カンボジアのベトナム人チャム族の少数民族の殺害に関連しており、数万人、おそらくそれ以上の犠牲者がいると推定されている[36][37]

一部の国際法学者とカンボジア政府の間で、法廷で裁判にかけるべき人々について意見の相違があった。

1990年代[編集]

ユーゴスラビア紛争における民族浄化[編集]

1990年代から2000年代までの旧ユーゴスラビアにおけるユーゴスラビア紛争。特にボスニア内戦時の民族浄化国際司法裁判所は、1995年7月13日より始まったVRS(ボスニアのセルビア人武装勢力)によるスレブレニツァにおける虐殺(スレブレニツァの虐殺)をジェノサイド条約2条上の集団殺害と認定した[38][22]

ルワンダの虐殺[編集]

1994年春にルワンダで行われた虐殺[22]。進行している虐殺がジェノサイドであると判断される場合は条約調印国全部に介入義務が生じるため、介入を避けようとしたアメリカほか調印国の抵抗により国連でその認定が遅れ、その際にジェノサイド的行為(act of genocide)が行われていると見解を発表するにとどまった。虐殺終了後に事後的にジェノサイドであると認定された。(ルワンダ紛争ルワンダ国際戦犯法廷参照)

メキシコのアクテアル虐殺[編集]

1997年、メキシコのアクテアル虐殺事件[26]

21世紀[編集]

ダルフール紛争における集団虐殺[編集]

2003年以降のダルフール紛争における集団虐殺[23]。ジェノサイドであるとの正式な認定が国連で行われていないために強制的な介入は行われていない。

中国の少数民族政策[編集]

画像外部リンク
新疆ウイグル自治区ロプ県の強制労働施設に収容されている少数民族ウイグル族の男性達

中華人民共和国による複数の少数民族に対する政策。アメリカ合衆国政府などがジェノサイドと批判し、中国政府は虚偽と反発している。

2008年のチベット騒乱時に、ダライ・ラマ14世中華人民共和国によるチベットでのデモ活動の鎮圧などを「文化的虐殺」と非難した。

2019年頃より、新疆ウイグル自治区イスラム教徒であるウイグル人が累計100万人が中国政府により「再教育施設」と呼ばれる施設に収容され、洗脳、虐待、強制不妊などが行われていると報道された[39][40][41][42]。2021年1月、アメリカのドナルド・トランプ大統領政権は、中国政府による新疆ウイグル自治区での少数民族ウイグル人虐殺を、国際条約上の民族大量虐殺である「集団殺害(ジェノサイド)」であり、かつ「人道に対する罪」に認定したと発表した[43][44][45]。2021年、バイデン政権もこの決定を引き継ぐと発表した[46]。2021年1月20日、在米の中国大使館がTwitter上で「過激主義を根絶する過程で、新疆のウイグル人の女性たちの心は解放された」、「彼女らはもはや子作りの機械ではなくなった」など書き込んだことで、アカウントを一時凍結された[47]。2021年1月26日、日本の外務省担当者は自民党外交部会で、この件について「中国のウイグル弾圧をジェノサイドとは認めていない」という認識を示した[48]

その他の事例[編集]

ここまでに挙げた「ジェノサイド」は、要件を国家人種民族宗教などの集団構成員に対する破壊行為としている。これに対して、存在に対する抹消行為という意味での比喩的な意味(用法)として、以下のような文脈で用いられることがある。

  • 文化的・宗教的な集団の文化的・宗教的・歴史的な存在等の全部または一部を破壊する意図をもって、1つの文化的・宗教的集団の構成員または文化的・宗教的・歴史的な資産に対して行われる行為を、「文化的なジェノサイド」(文化浄化)と言う。「文化的ジェノサイド」は、1946年の国際連合総会決議を受けて[49]、事務総局が作成したジェノサイド条約草案の中に取り入れられたが、後に委員会で削除された[10]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 政治学者の添谷育志は、Genocideはラファエル・レムキンによる造語であり, 一般には「大量虐殺」ないしは「集団殺害」と訳されており、「集団人間破壊」は誤訳であると指摘している
  2. ^ 文語訳聖書では、通常「絶滅」などと訳される民数記21:3の「ホルマ」(ヘーレムの語根ハラムの派生語。新改訳聖書ではホルマがそのまま使われている)を「殲滅」と訳し、「ほろぼし」のルビを振っている

出典[編集]

  1. ^ a b c d 西井正弘「ジェノサイド」『世界大百科事典 12 シ―シャ』平凡社、2007年9月1日 改訂新版発行、51頁。
  2. ^ a b c スプリンガー 2010, pp. 16–19.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 添谷 2011, p. 28.
  4. ^ a b c d e f g 田中明彦. “集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約”. データベース「世界と日本」. 政策研究大学院大学・東京大学東洋文化研究所. 2024年5月4日閲覧。
  5. ^ a b 斉藤功高「ジェノサイド」国際法学会編『国際関係法辞典』三省堂、1995年8月10日 第1刷発行、ISBN 4-385-15750-2、377頁。
  6. ^ a b 添谷 2011, p. 57.
  7. ^ Samantha Power, A Problem from Hell: America and the Age of Genocide, London: Flamingo, 2002の翻訳:サマンサ・パワー『集団人間破壊の時代――平和維持活動と市民の役割』星野尚美訳,ミネルヴァ書房,2010 年
  8. ^ a b 小田 滋・石本康男編『解説 条約集(第九版)』三省堂,2001 年
  9. ^ a b 添谷 2011, p. 25.
  10. ^ a b 榎澤幸広 (2006年). “ジェノサイド条約2条と文化的ジェノサイド” (PDF). 筑波学院大学紀要1. 筑波学院大学. p. 72. 2024年5月5日閲覧。
  11. ^ Kawashima, Saeko (2004年12月). “[Research Paper (Saeko Kawashima – Student No.: 16149) 2004/12 Research Paper]”. 東京大学. 2024年5月5日閲覧。
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  13. ^ a b 添谷 2011, p. 32.
  14. ^ 添谷 2011, p. 46.
  15. ^ 添谷 2011, p. 45.
  16. ^ Samantha PowerA Problem from Hell: America and the Age of Genocide、ロンドン、フラミンゴ出版社、2002年(邦訳サマンサ・パワー『集団人間 破壊の時代――平和維持活動と市民の役割』(星野尚美訳、ミネルヴァ書房、2010 年[要ページ番号]
  17. ^ a b c 添谷 2011, p. 47.
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  20. ^ C.I.J.Recueil 1996, Vol.II, p.616, par.31
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  23. ^ a b c d 添谷 2011, p. 27-28.
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  26. ^ a b c d e f g h 松村高夫・矢野久編著『大量虐殺の社会史――戦慄の二〇世紀――』ミネルヴァ書房,2007年
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参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]